あなたは人目の知りたがりです(笑)
熊本ってどんな所でしょう?
他県の人にとってはもちろんですが、熊本に住んでいる人でも意外とわからないものです。
かなりの情報量ですので、気合いを入れてお読みください。
熊本県知事 潮谷義子
熊本市役所 〒860−8601 熊本市手取本町1番1号
電話:096−328−2111(代表)
熊本市長 幸山政史
熊本県推計人口(平成17年9月1日現在)
総計 1,847,585 人
男 870,373 人
女 977,212 人
世帯数 680,750 世帯
(人口及び世帯数は平成12年国勢調査確定値を基数にし、毎月の転入・転出及び出生・死亡を増減したものです。)
熊本県 平成12年度国勢調査(平成12年10月1日現在)
総計 1,859,451 人
男 878,145 人
女 981,306 人
世帯数 647,154 世帯
面積 約7,402平方キロメートル、これは全国第15位です。
これは香港の約7倍、北アイルランド(イギリス)の約半分の広さです。
飛行機で東京(羽田空港)から熊本空港まで、約1時間35分(1,072km)
大阪(伊丹空港)から約1時間05分
ソウルから1時間25分(631km)
鉄道で東京から「のぞみ」約4時間50分→博多「つばめ」約1時間20分→熊本
新大阪から「のぞみ」約2時間20分→博多「つばめ」約1時間20分→熊本
車(高速道路)で東京ICから熊本ICまで、1210.8km
吹田ICから熊本ICまで、696.7km
| 九州の真ん中にある県が熊本。九州では福岡に次いで、2番目に人口の多い都市です。 県土の約7割が森林で占められています。 |
+その他 特徴+
| 大きい寒暑の差 気候は概して温暖で、天草沿岸部は珊瑚礁の最北限になっています。熊本市周辺は内陸性気候を示し寒暑の差が大きいのが特徴です。盛夏は35℃以上になる日も珍しくなく、深夜まで高温が続くのに対し、厳冬の最低気温はしばしば氷点下を示すこともあります。また梅雨後期には高温多湿の南西気流と地形の影響からしばしば集中的な大雨となります。 進む人口の高齢化 人口は平成12(2000)年現在、約186万人。昭和47(1972)年から増加傾向にありますが、約15%が65歳以上の人で、全国より10年早く高齢化が進んでいます。
農業や畜産が盛んで、品種改良された柑橘系果実や、生産料日本一の「い草」などは特筆すべきところがあります。畜産は主に阿蘇方面 で盛んに行われており、「肥後赤牛」が有名です。 神秘の炎、不知火 旧暦8月1日(8月下旬〜9月上旬)の夜、八代海の海上に神秘的な炎がゆらめきま す。誰にたずねてもその火のことを知らないので「不知火」と呼ぶようになったとか。科学的には漁り火を光源とした気象現象と解明されています。 |
+熊本県のシンボル+
県章
(昭和41年3月制定)
熊本の頭文字の「ク」の字を図案化し、九州の地形を形どったものです。中央の白い円形は九州の中央に位 置する熊本県を象徴しています。
県花「リンドウ」 (昭和28年10月制定)
県内各地の山野の草地に自生し、阿蘇高原では10月頃から咲き始めます。 NHKが全国的に「郷土の花」を選定した際に選ばれました。
県鳥「ヒバリ」 (昭和41年10月制定)
熊本県各地の草原や耕地などで見ることができ、県民に親しまれています。農業県・熊本のシンボルとして制定されました。
県木「クスノキ」 (昭和41年10月制定)
熊本城内をはじめ県内各地の神社や寺院にクスノキの巨木が見られ、昔から県民に親しまれています。
県魚「クルマエビ」(平成元年12月制定)
熊本県は全国に先駆けてクルマエビ養殖に取り組み、日本一の生産量を誇っています。
主な観光場所
県北 阿蘇 熊本市 宇城・上益城・下益城 天草 県南
観光名所は結構ありますが、これはどこでも同じことが言えるのでしょうが、「いつでも行ける」とか、
「行き飽きた」などの気持ちがあって「熊本は遊ぶ所が少ない」と言う地元の人が多いようです。
熊本県の主なお祭り・イベント
+熊本の歴史+
【原始・古代の熊本】
| 温暖な気候、豊かな水、広大な丘陵をもつ熊本には、約2万8千年前から人々が 住んでいました。旧石器・縄文時代の遺跡は、県下各地で発見されています。弥生時代には、いち早く稲作が始まり、大陸に近いことから青銅器や鉄器も見られます。玉 名郡天水町では日本最古の鉄斧が出土しており、弥生文化が栄えたことが知られています。古墳時代には、まず、宇土半島の基部に4世紀代の前方後円 墳が築造され、その後、県内各地で造られるようになりました。このころ、「火の君」と呼ばれる豪族が栄えました。古墳時代の後半(6・7世)には玉 名郡菊水町江田船山古墳にみられるように、大陸との交流を示す遺物を持つ豪族も現れました。墓の中に絵や文様を描く「装飾古墳」や石人・石製品を古墳に立てる独自の風習も大流行しました。筑紫国造磐井の反乱(527年)後、「屯倉(みやけ)」と呼ぶ畿内王権の直轄地が置かれ、全国的な政治体制の中に組み入れられました 。律令時代になると、豊かな熊本県は九州で唯一の「大国」となります。鞠智城(菊池市、菊鹿町)が造られるのもこの頃です。また、8世紀編纂の「万葉集」にも熊本の風土が歌われています。 |
【中世の熊本】
| 平安時代に入ると、肥後国には14の郡とその下には99の郷ができました。荘園全盛期には、阿蘇荘や鹿子木荘、山鹿荘など約10の大荘園ができ、この中から武士団が台頭してきました。そして、いよいよ武士が活躍する時代の始まり。鎌倉時代には、武士たちが地頭や守護に任命され、阿蘇氏や菊池氏、小代氏が各地で勢力をふるいました。鎌倉御家人だった相良氏も球磨地方に入国し、独特の仏教文化を残しました。南北朝時代になると、九州も中央の事情を反映して二派に分かれて対立しました。菊池氏の勢力が強まり、阿蘇、名和、相良の諸氏がこれに続きました。しかし、室町末期、菊池氏の勢力が衰えると、豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏、薩摩の島津氏の勢力が伸びてきて、肥後国は戦国三大名の争奪の地となりました。その後、島津氏の勢力下におかれ、豊臣秀吉の九州平定まで続きました。 |
【近世の熊本】
| 天正15(1587)年、九州を平定した秀吉は、佐々成政を肥後の国主に任じましたが、国衆一揆により佐々は失脚。その後、加藤清正が県北を、小西行長が県南を 、相良氏が球磨を支配しました。熊本城を築造した加藤清正は慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで滅んだ小西氏のあとを受けて肥後を統一。領内では土木・治水工事を手掛けるなど多くの業績を残しました。寛永9(1632)年、加藤氏の後を受けて肥後に入国した細川氏は明治維新まで肥後54万石を治め、茶道の肥後古流、能の喜多流と金春流、門外不出の肥後六花、 相撲の吉田司家、肥後象嵌などの文化育成に力を注ぎました。また、3代細川忠利の招きで熊本にやってきた剣豪宮本武蔵は、晩年を熊本で過ごし、「五輪書」を著しています。 天草は長崎に近く、小西氏がキリシタン大名であったことから、キリスト教が広く浸透し、コレジオ(天草学林)が建てられたり、ラテン語や天文学などキリシタン文化が栄えました。しかし、慶長18(1613)年に禁教令が出され、次第にキリシタン弾圧が厳しくなる中、重税に苦しめられた農民3万7000人が寛永14(1637) 年、一揆を起こしました。これが天草島原の乱です。この翌年鎖国令が出たのもこの乱が大きな原因になったからと言えます。これ以降、天草は明治維新まで天領となりました。 |
【近代の熊本】
| 明治2(1869)年、版籍奉還。同4(1871)年の廃藩置県により熊本藩は熊本県に、 人吉藩は人吉県に、天草は一時、長崎県に編入され、同9(1876)年に現在の熊本 県ができあがりました。明治4(1871)年、熊本医学校、熊本洋学校が設立される など、西洋文明による近代化が図られました。一方、士族たちの新政府に対する 不満が増大。同9(1876)年に神風連の乱、同10(1877)年には西南戦争が起こり、 熊本がその主戦場となりました。水前寺公園の近くに移築されている熊本洋学校 教師館は、西南戦争時に佐野常民が博愛社創立の許可を受けたところで、日本赤 十字発祥の地とされています。明治20(1887)年には第五高等中学校が設けられ、 夏目漱石、小泉八雲らが教鞭を取り、多くの人材が巣立っています。 |
「熊本の日本一」
名水百選に選ばれた数
環境庁選定の「名水百選」に県内から4ヵ所(白川水源、池山水源、菊池水源、轟水源)も選ばれています。
人口約66万の熊本市の上水道を流れる水も、ほぼ100%地下水でまかなわれていて、これは全国でも非常に珍しい
ケースだそうです。
石橋の数
熊本には約270基の石橋が点在しており、全国1位の数を誇っています。
日本最大のアーチを持つ霊台橋などを造った種山(現・東陽村)の石工たちは東京の旧二重橋や日本橋なども手がけ、
「肥後の石工」として名を馳せました。
装飾古墳の数
4〜7世紀に栄えた装飾古墳文化。
熊本には全国の約4割の装飾古墳が集中して 、古代の熊本の文化の独自性や大陸との結びつきを物語っています。
い草の生産料
国道3号線を南に八代方面に下っていると、右側に広がる八代平野。
その八代平野は、夏になると一面の濃い緑に包まれます。一見、稲にも見えますが、それがい草なのです。
知らない人もいると思いますので、一応の説明。「い草」とは、畳を作る時の原料です。
3333段の石段
美里町(元
中央町)にある3333段の日本一の石段といえば、あまりにも有名です。
登るのはもちろん疲れますが、本当につらいのはやっぱり下りでしょう。
全部登った先には「釈迦院」があり、祈れば苦しまずに死ねる、ぽっくり寺として信仰を集めています。
阿蘇のカルデラの規模(世界一)
阿蘇外輪山の内側が、いわゆる「カルデラ」です。阿蘇の大噴火で出来たと言われています。
遥か遠い昔はには水が溜まっていて、大きな湖「カルデラ湖」であったという伝説が残っています。
あの外輪山の直径を見ると、大噴火の前は相当大きな山だったと考えられます。