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一、穂かけ孫六どん
むかしむかしのことである。
城北村(鹿本郡菊鹿町城北)に、穂かけ孫六どんという人がいた。どうして「穂かけ」とよぶのかというと、孫六どんはひどく貧乏で、自分で暮らすこともできない。しかたがないので田んぼに落ちている米の穂を拾っては、その穂を家のまわりにかけて乾かし、それをついては、やっと飢えをしのいでいたからである。米の穂をかけて暮らした孫六どんだから穂かけ孫六どん、村の人々はそうよんでいた。
ところが、この孫六どんのところへきれいなお姫様がやって来たからたいへんだ。このお姫様は、京の都に住む身分の高いお姫様であった。たいへんきれいな気立てのよい娘さんであったが、どうしたことかお婿さんが見つからなかった。お姫様は、お嫁にいけないのを悲しんで、
「どうか、よいお婿様にめぐり会いますように。」
と、観音様にお願いした。すると、おつげがあって、観音様は、
「おまえの婿になるものは、肥後の国城北の穂かけ孫六というものをおいて他にはなかろう。早く孫六のところへ行ってみよ。」
と言われた。
お姫様は、観音様のおつげをありがたく思って、さっそく肥後の国までやってきた。
そして、城北村までくると、村人たちに、
「すみませんが、ちょっとお尋ねします。このあたりに穂かけ孫六さんというおかたがいらっしゃいますでしょうか?」
と尋ねた。見ると、きれいな着物を着た美しいお姫様。その上、あまり丁寧な言葉で話しかけられたので、村人たちはびっくりして誰のことかわからなかった。しばらくして、はっと気が付くと。
「ああ、あの山のよごれのことばいな。なんの用があるか知らんが、こん道ばずうっと行くと、山ん中に小さか小屋んある。そこが孫六ん家ですたい。」
と教えた。
お姫様は、その小屋に着いて驚いた。天井は穴が空き、柱はかたむき、がたがたになった家の中からよれよれの着物をまとった、真っ黒に汚れた男が出てきたのである。
あまりの臭さと汚さに、お姫様は顔をそむけた。「これは、これは。観音様のおつげとはいいながらたいへんな人のお嫁さんになることになった。けれども、これが私の運命というものでしょう。」と思いながら、孫六に、
「私は、お嫁さんになるために、はるばる京からやって参りました。どうか、私をあなたのお嫁さんにしてください。」
とたのんだ。孫六は、それを聞くと、びっくりして断った。
「なんちゅう事ば言いなはるか。わたしに京のお姫様ば養うなんて、何で出来まっしょうかい。自分ひとりも養いきらんとに。」
すると、お姫様はにっこり微笑んで、
「ご心配なさいますな。私は、お父様、お母様から小判というものを貰ってきました。これをあげましょう。町へいって、米でも味噌でも、何でもいるものを買っておいでなさい。」
と言って、小判を三枚さしだした。
孫六は、それを持って、山鹿の町へ買い物に出かけた。ところが、途中で、川に鴨が浮いているのを見つけた。「ようし、あれを今夜のめしのおかずに取って帰ろう。」と思って、石をさがしたが見当たらない。それで、お姫様から貰った小判を一枚とりだし、鴨を目がけて投げつけた。ところが、みごとにはずれて、小判は川の中へぽちゃんと沈んでしまった。二枚目も投げたがこれもだめ。「えい、このやろう。」とばかり、三枚目も投げてしまった。これも当たるどころか、鴨はあざ笑うように、尻をふりふり川上へ逃げていった。
孫六は、がっかりして小屋にもどった。お姫様は、
「お早いお帰りでございました。お疲れだったでしょう。」
と言って出てみたら、孫六は手ぶらで立っている。
「あなた、買い物はどうなさいました。」
と聞いた。孫六は、おそるおそる答えた。
「かくかくしかじかで、小判は池の中に投げ込んでしもた。なあんも買えん。しかたがなかけん帰ってきた。」
それを聞いたお姫様は、
「まあ、あなたという人は。あれさえあれば、世の中の欲しい物は何でも望みのままですのに。」
と悔やんだ。でも、孫六は、
「なんな、黄色でぴかぴか光るとは、裏山ん炭焼き釜の横に行くと、いくらでん落ちとるばい。」
と言った。お姫様はびっくりして、
「早く見せてください。」
と言ってせがんだ。孫六に案内してもらって行ってみると、なるほど金の石がごろごろ散っている。
孫六とお姫様は、金の石を山のように拾い集め、大金持ちになり、広い屋敷に御殿のような家を建て、村じゅうの田畑を買い取ってしまった。炭焼き小屋で、真っ黒に汚れていた孫六も、毎日湯につかり、ヒゲを剃り、絹の着物を身につけると、どうしてどうして、すばらしい美男子になった。お姫様も、「これも観音様のおかげです。」と、大喜びしたそうである。
これが、米原長者の若いときの話である。
ニ、長者の宝くらべ
米原長者は、なんといっても金持ちで、使用人を六百人、牛・馬は四百頭も持っていた。
ところがあるとき、山本村(植木町山本)に大金持ちである「駄(だん)の原長者」がいることを聞き、「宝くらべ」をしようと申し出た。
米原長者は、金・銀・珊瑚・綾・錦を並べたて、見物する人たちのために、金の板を敷き板がわりに並べた。そして、「駄の原長者が何でおれに勝とうかい。」といばっていた。一方、駄の原長者は、息子二十四人、娘十五人にきれいな着物を着せて馬に乗せ、宝くらべの場所へ行った。ずいぶんたくさんの子供を持ったものである。
見物人は、米原長者の宝はすぐに見飽き、みんな駄の原長者の子供たちを見に行ってしまった。ひとりの子供も持たない米原長者はそれを見て、
「ああ、わたしにはひとりの子もない。千の宝より子が宝。うらやましか。うらやましか。」
と言って、泣いたそうである。
鹿央町米野岳へ行く道に、浦山坂という坂があるが、そこが米原長者が悔しがって足をこすり、泣きわめいたところといわれている。
三、一日田植え
米原長者は、田底三千町歩(約三千ヘクタール)、菊池から山鹿までの田んぼを一人で持っていた。長者は、この広い自分の田んぼに一日で田植えを済ますのが、一番の自慢であった。
ことしも田植えの季節がやってっきた。
「おれの威厳にかけても、一日で植えてしまうぞ。」
と、六百人の使用人を大声でしかりとばして頑張らせたが、済まないうちに夕方になり、日がしずみかけてきた。長者は手に持っていた金の扇で、西の山にしずみかけたお日さまを、
「しずむな。しずむな。」
とまねきかえした。不思議なことに、お日さまはぐらっと揺れて、物干竿の高さほど東の空へ後戻りした。米原長者は、いまだとばかり、
「植ゆるとは、今だ。いそげ、いそげ。」
と叫んで、田植えを急がせた。しかし、もう少しというところで、日は真っ赤な夕焼けを残して西の山にしずんでいった。
くやしがった長者どんは、怒りだし、蔵の中から油を三千本かつぎ出させ、日岡山の頂上にまき散らし、火をつけた。山が燃えだしたので、あたり一面昼のように明るくなった。その明るさで、田植えはその日のになんとか終わった。「今年も、うまくいった。」と長者はご機嫌であった。
その晩、米原長者の屋敷では、働いた大勢の人を集めて、さかんな慰労会が行われていた。ところが、その最中に、日岡山から火の玉が飛び出し、米原長者の家にドシーンと落ちた。その火は、家や蔵に飛び散って、みるみるうちに燃え広がった。それに気がついたときは、もう遅かった。その上、みんなが、酔っぱらっていたため、消すこともできず、家も蔵もみんな燃えてしまった。
「これは、やっぱりお天道様を招きかえしたりなんかした罰だろうな。」
村人たちは、ぶるぶる震えながら焼跡に立っていた。
日岡山は、ハゲ山のまま、今ものその姿をとどめている。菊鹿町の米原長者の屋敷跡からは、今でも土台の石や焼けた米が出てくるそうである。
おしまい。
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