森の木の天神様
下益城郡豊野町の昔話。
大昔に存在したといわれる、とてつもなく大きな木の伝説です。

 


 
 むかし、豊野村(現在・豊野町)糸石の森の木という所に、一本の大きな木がありました。朝日が上ると、木の長い影が有明の海に映り、タ日がさすと、そのかげが日向の海までのびました。そのため、東の村も西の村も、この木の影に入ってしまって、田も畑も、半作の実りもありませんでした。
 そこで、総庄屋の村山左衛門尉はこの木を切ろうと決心しました。そして二十何人もの木こりを雇って、やっさえっさと切り始めましたが、丸一日かかっても、大きな幹の何十分の一も切ることはできません。その日はそこまでで終えて、明くる朝行ってみると、不思議なことに、幹の切り口は、元どおりきれいにふさがっていました。
 なんともおかしなことじゃわい、でも、このままにしてはおけぬと、木こりたちの人数をたくさん増して、朝早くから、タ方までかかって、やっと大きな幹の十分の一ほどを切りました。けれども、明くる日行ってみると、また幹の切り口は元のままにもどって、切りくず一つ見あたりません。
 次の日も、またその次の日も同じでした。どんなに切っても、切り口はふさがって、大木は元のままの姿に返るのです。
 さあ、そうなると、木こりたちは、すっかりおじけづいてしまいました。
「総庄屋さまあ。この木は、これは神木でござりますばい。このうえ切ろうとすると、ばちが当たりますけん、どうぞもう切るのは、かんべんしてくだはりまっせ。」
と言いだしました。総庄屋も困りましたが、
「手間代は倍増しよう。もうひとふんばりやってくれぬか。」
と、木こりたちをなだめて、仕事にかからせました。そして、家に帰って、下男の義助を呼んで、
「あの木のおがげで、村のものが苦しんでいる。わしはどうあっても、あの木を切らねばならぬ のじゃ。ところが、いくら切っても、木は元のままというのは、何か不思議なわけがあるに違いない。おまえ、ご苦労だが、今夜あの木の番をして、わけを見とどけてくれぬ か。」
と言いますと、義助は、
「かしこまりました。しっかり見張っておきまっしょう。」
と引き受けました。
 義助は、日が暮れると、こっそり大きな木の下に行って、目分の体が入るだけの穴を掘ると、その中に身をかくしました。
 夜がふけて、何もかもが寝静まった真夜中です。サアーッと木の葉をさわがせて、風が吹きおろしてきたかと思うと、その風に乗るようにして、上からすうっとおりてきたものがあります。義助が目をこらしてみると、それは白髪のおじいさんとおばあさんでした。
「毎日たくさんの木こりたちが寄ってたかって、この身を切りたおそうとしているが、なんの、まだまだ。これくらいではこたえぬ わい。」
と、おじいさんが言えば、
「ほんに。木こりたちが、木の切れっぱしや、のこくずを焼かずにおいてくれるのが、不幸中の幸い。」
と、おばあさんが答えます。それから二人は、熊手を手に取って、木ぎれや、のこくずをかき寄せると、それをそおっと木の切り口に当ててやりました。
 すると、木こりたちがいっしょうけんめい切った幹の切り口はまたたく間にきれいにふさがって、元の形にかえりました。
 息を殺して見ていた義助はおどろいて思わず、
「ああっ!」
と、声を出してしまいました。
 その声に、二人の老人は義助に気がついて、穴のところまで寄ってきました。そして、おじいさんは、人間とは思えないおそろしい声で、
「これ、そこのふとどきな人間。われらは、この木に年経て宿る夫婦神なるぞ。ただ今のわれらの言葉を聞いたであろう。今の言葉をけっして人にもらしてはならぬ ぞ。そうすればおまえの望みは、なんなりとかなえてやろう。だがもし、今の言葉を一口でも人にもらしたら、おまえはその罰に狂い死にせねばならぬ ぞ。よいか。ゆめゆめ人にもらすでないぞ。よいな。ひとにもらしたら狂い死にだぞ。」
と言ったかと思うと、おじいさんとおばあさんの姿は、サアーツと木の葉をさわがせて、幹のかげにかき消えてしまいました。
 義助はすっかり困ってしまいました。
 神様の言葉にしたがったら、村が救えない。神様の言葉にそむいたら、狂い死にしてしまう。あれこれ迷ったあげく、義助は、わが身は捨てても、村を救うことに決めました。
 義助は、家に帰ると、総庄屋にすっかり夜中の出来事を話しました。
 総庄屋は、
「ありがたい。義助、おまえのおかげで村は救われるぞ。」
と喜んで、今度は、さらにたくさんの木こりを集めて、自分は大木の下に立ちました。
「総庄屋として、神様に申しあげます。村々を救うため、わたしはこの大木を倒さねばなりませぬ 。
しかし、木を切ったあとは、ほこらを立てて、あなた方をおまつりいたします。もともと神は人間のする正しい道には、災いは下さぬ と聞いています。どうぞこの木を切ることをお許しください。もしお許しがなくて、災いを下されるのであれば、この総庄屋一人を罰して、決して他のものに罰をふり向けないようにお願い申しあげます。」
とさけぶと、木こりたちに言いつけて、斧をふりおろさせました。そして、とび散る木の端やのこくずを片っぱしから焼き捨てていきました。
 この日から、もう大木には不思議なことは起こらなくなりました。こうして二十日以上もかかって、やっとこの大木を倒すことができました。
 倒れた大木のいちばん下の枝は、半里(約二キロメートル)も先の田の中につきささりました。
 下から六番目の枝は、一里(約四キロメートル)以上もはなれた山の中につきささり、その穴に大きなため池ができました。そしてこの池は、「六の枝のため池」と呼ばれるようになりました。
 八番目の枝は、三里(約八キロメートル)もはなれた山の中につきささり、そこに「八つ枝」というため池ができました。今も広いたんぼや畑をうるおしています。
 そして、この木のいちばんてっぺんのところは、もっとずうっと先の田んぼの中に倒れました。そこは、「木浦田」と呼ばれるようになりました。木うらというのは木のいちばんてっぺんのことです。
 総庄屋の村山左衛門尉は、大木を倒した後にほこらを建て、あの大木の神様をおまつりしました。その後総庄屋は長生きして、子孫は長く栄えました。
 かわいそうなのは義助で、あの木ぎれや、のこくずを焼きはじめたときから狂いはじめ、木が切りたおされると同時に、狂い死にしてしまったということです。
 今でも、ほこらは「森の木の天神様」として残っているそうな。

 おしまい。

 


Copyright(C)2004,evergreen. All Rights Reserved.