菊池千本槍
熊本の北部、菊池の菊池神社に保存されている「千本槍」にまつわるお話です。

 


 

 今から約六百六十年ほど前のことです。
 足利尊氏という強い武将が鎌倉でいくさをおこしました。朝廷は、新田義貞を大将としてこれを討たせようとしました。
 このとき、新田軍の先鋒となったのが肥後の菊池武重でした。武重は一千人の兵士を引き連れて、義貞と共に尊氏の弟、直義を箱根(神奈川県)に攻めました。武重は、この合戦に家来の八幡弥五郎と共に、菊池軍の先頭に立って戦いました。
「我ら田舎武士にこの仕事を下さったのは、この上ない名誉じや。明日の合戦には、ずば抜けた働きをせねばならぬ 。菊池一族の神様、
どうぞお守りくだされ。弥五郎たのんだぞ。命をかけても菊池の名を高めようぞ。」
「承知いたしました。きっと、思う存分働いてみせます。」

 タ方になりました。夜風にハタハタとひらめいているのは鷹の羽を染めぬ いた菊池氏の旗です。
 明日の合戦に先陣と決まった一千人の兵士は、わっと喜びの声をあげて勇みたちます。
「そうだ、明日こそはわが菊池軍の底力をみせてくれようそ。」
「やろうぞ。」
 誰もが明日の手柄を誓いあって、忙しく合戦の準備を進めています。武重は床几(いくさの時などに、野外で使う腰掛け)に腰をすえ、身動き
もしないで冷たくさえた空をあおいでいました。
「弥五郎、このあたりに竹林があるもようじゃのう。」
 あまり突然の事に、弥五郎はそばにいた監物と顔を見合わせ、
「ござりまする。この後ろ一帯、足を踏み入れることもできぬような竹林にごさりまする。それが何か・・・。」
 その音を聞いているのか、何かを考えているのか、武重は、しばらく目を閉じて黙っていました。
そして、急に二人に向かって、
「兵どもに命じて、各自竹の手ごろなものを一本ずつ切らせよ。長さは二間(約三・六メートル)あまりがよかろう。」
 弥五郎と監物は、また顔を見合わせました。
「その竹の先に、各自の短刀を縛り付けるのじゃ。なぎなたでは、ひと突きに敵を倒すことはできぬ が、これならばそれができるぞ。」
「おお、なるほど。」
「それを持たせた兵を横一列に進ませ、敵を突き上げ突き上げ、ただまっしぐらに攻めあげるのじゃ。
盾などによって防ごうとしても、これがあればたやすく攻めることができると思うが・・・。両人、どうじゃの。」
 武重の若々しく賢い顔をあおいで、弥五郎と監物はうなずき合いました。槍などという武器がまだ用いられていない時代でしたから、たいへん優れた思いつきでした。

 こうして、武重の軍勢は新しい武器をふるって突き進み、敵を破りました。足利直義の軍は、この見たこともない武器にうろうろして進むこともできません。武重のこの工夫を凝らした武器と集団戦法によって、敵兵は散々に痛めつけられました。この作戦は、見事成功したのです。
 その後新田軍は、足利軍に敗れ、菊池武重も兵士を引きつれて菊池に帰りました。そして、大和の国(奈良県)で刀鍛冶をしていた延寿を招いて槍を作らせました。数年の後に千本も作ったので、世にこれを干本槍といいました。それまで、わが国には鉾はありましたが、槍はありませんでした。その槍を作りだしたのが菊池武重で、千本槍の名は広く知れわたるようになりました。延寿の名は国村と言いましたが、その後菊池延寿と名乗り、菊池に住みました。

 この千本槍は、今、菊池神社に保存されています。あれから約六百年以上たった今日も、槍の穂先はきらきらと光り輝いているということです。

 おしまい。

 


 

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