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源七じいさんは、日当たりのよい縁先に、敷き古したむしろを敷き、はちまきの威勢のよい姿で縄を作っていた。彼岸の日ざしは、気持ちよくじいさんの背中に照りつけていた。二ひろ、三ひろと、縄を作っているうちに、じいさんの目はいつの間にか細くなり、時々思い出したように力のない手がだるそうに動くだけになってきた。
息子の亀作は畑の麦の手入れに、孫の太七は、今朝がたに子馬で加茂坂まで出かけていた。あとには、耳の遠いばあさんが、これもこっくりこっくりしながら糸をつむいでいた。
と、突然!けたたましい叫び声が、昼下がりの静けさを破ってじいさんの耳をうった。
「たたた、たいへんだ!」
「おい!源七どん、おるかい(いますか)!」
だるくなって、口をぽかんと開けた眠っていたじいさんは、びくっとして飛び上がった。
「おい、源七どん。たいへんだ。お前んとこの太七が馬の子と一緒に石橋からつこけて(落ちて)、大怪我したばい。馬の子も太七どんも右の足ば打ち折っとるばい。」
「立ちきらんもんだけん(立てないものだから)、わしが溝からやっと救い上げて連れて来たたい。」
見れば、孫の太七は、右足をだらりと下げたまま、顔や足を擦りむいて、真っ青な顔で連れの男の背に負われている。
「おい、太七、お前のうちに着いたばい。しゃんとしなっせ。」
と、連れの一人が、背から太七を降ろして縁側に横にした。「今朝出るときは、鼻歌を歌いながら馬に乗って出かけたのに・・・。」あまりの出来事に源七じいさんは、ただぼんやりとつっ立っているばかりであった。
それから二、三日たった朝、お寺に薪を積んで出かけた横尾のじん平さんの馬が、石橋の上で急にびくっと、足を曲げたままその場に座ってしまった。
馬は、どうした訳か背中いっぱいどろどろした油汗を流しながら、何かに怯えて震えているようであった。
薪を背中から降ろしてやり、橋の下のせせらぎから手ぬぐいに水を含ませて、何度か馬に水を与えてみた。そのうちに、やっと正気づいて前足をのばして立ち上がった。じん平さんは、この橋にみょうな何かがあるような気がして、もうお寺に行く気がしなくなった。そして、今来た道を引き返して、横尾の自分の家に辿り着いた。
そんな事があってから、誰言うとなく、「魔の石だ。」「ゆうれい橋だ。」という噂がたちはじめた。
「新村の六さんも、石橋で馬から落ちて腕を折った。」
「立山の庄六どんも、渡りながらぶったおれた。」
昨日はどこの誰、今日はどこの息子と、石橋で怪我をした者の話を聞かぬ
日はなかった。
いよいよ何かのたたりに違いないということで、びくびくしながらも村の人たちはその橋を調べてみることになった。
その日は、朝からくわを持った村の人たちが、奇怪なことの起きる橋のかたわらに集まった。空には雲が低くたれ、今にもぽつり、ぽつりと雨を落としそうな重苦しい日よりだった。平井の専徳寺のお坊さんを呼んで、お経をあげてもらった。重々しい読経の声は、強く、低く、高く、弱く、奇怪な橋にしみ込んでいくようにも思われた。読経が済むと、村の庄屋さんは、塩をまいて、おまじないを始めた。そして、大きく振り上げたつるはしで一方のくわ入れをやると、それを合図に、多くの人たちが橋の淵を掘り始めていった。
すると、二メートル四方もありそうな大きな石が、危なっかしい格好で支柱に支えられていた。例えようのない気味悪さで、くわをとっていた人たちは、恐る恐る上下からその大きな石を起こし始めた。祈りがきいたのか、なんのさわりもなく、その石が仰向けにされた時、
「あっ!」
という叫び声が、みんなの口からあがった。
見れば、今まで普通の石だと思っていた石の裏には、後光のついた大きな仏様が刻み込んであるではないか。そして、その左右には。
道泉禅門妙泉禅尼 永正十一甲戌年二月吉日 施主
祖 角田掃部助藤原久吉 敬白
と書き込んであった。
「あっ、こらあ、殿さんの名たい!」
庄屋の声に、文字の読めない村人たちは、目をまるくして覗き込んだ。
角田掃部助藤原久吉といえば、昔のここの殿様である。
この殿様は、たいそう名高い殿様であった。そのころ、このあたりに悪い病気がはやり、村人たちがばたばたと倒れていった。殿様はなんとかして村人を救おうと、あちこちと飛び回った。そして、とうとう自分が倒れてしまった。村人は、たいそう悲しんでこの仏様を建てたのである。
殿様の事を刻み付けてある石が、またどうして粗末に扱われたのだろうか。
庄屋の話を聞いて、村人は、この橋を渡る人や馬が傷付くのも無理はない、と思った。
村の人たちの目には、謎の解けた喜びとたたりの恐ろしさとがこんがらがっていた。
大きな不安を村人たちに与えていたその石仏は、他の石と取り替えられた。すると、ふしぎにその後は、人も馬もなんのさわりもなくなり、前のように平和な日が続いたそうな。
おしまい。
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