味噌天神
熊本市電・味噌天神前停留所の近くにある味噌天神宮が
なぜそう呼ばれるようになったか、というお話です。

 


 
 熊本市内を走っている電車の停留所に味噌天神というところがあります。その停留所の近くの木立ちの中にお宮があります。このお宮は、日本で初めての貨幣、和同開珎が作られた頃といいますから、今から約千三百年ほど前に建てられたと言われています。
 そしてこのお話は、なぜそのお宮が味噌天神と呼ばれるようになったかを書いたものです。

 そのころの熊本は、都から来た道君首名(みちのきみのおびとな)という人が治めていました。ある年、悪い病気がはやって、あちこちでたくさんの人が死にました。首名はたいへん心配して、さっそくお宮を建て、薬草の神様である御祖天神をおまつりしました。
 首名は病気が広がらないように、人々が早く健康になるようにおいのりしました。するとどうでしょう。悪い病気はぱったり止まり、死ぬ 人もいなくなりました。人々はたいへん喜んで、このお宮を大切に大切にしたそうです。そのころはまだ御祖天神宮と呼んでいたそうです。

 それから月日がたちました。都では聖武天皇が位につかれました。天皇は深く仏教を信仰して、仏様の力によって人々を幸せにしようと考えられました。そこで、都には東大寺を、それぞれの国には国分寺を守てるようにお命じになりました。肥後の国でも、今の国府に国分寺を建てることになりました。
 今まで見たこともない大きなお寺を建てるのですから、それはそれはたいへんなことでした。木を切ったり板をけずったりするのにも、今のような便利な道具はなかったので、大勢の人たちが仕事をしなければなりませんでした。村々からたくさんの人が集められ、国府にはそういう人々の宿、炊事場などはもちろん、米蔵や味噌蔵も建てられました。いよいよ工事が始まって、みんながはりきっているころ、大変なことが起こりました。味噌蔵の味噌が腐りかけてきたのです。食べ物の係の者は驚いて、色々と手をつくしました。このころの人々にとって、味噌は大事な食べ物でした。味噌がなければ食事は作れません。
 しかし、味噌はだんだん悪くなっていきます。それで、使いの者がたてられて、御祖天神宮にお願いすることになりました。使いの者は、
「味噌が腐ると、おかずが作れなくなってしまいます。どうか腐らないようにしてください。」
と一心においのりしました。夜明けごろ、昼間のつかれからうつらうつらしていると、夢をみました。
「これこれ使いの者よ。すぐ帰って味噌桶にササを立てるがよい。ササは、この社から持って帰るがよい。」
 使いの者はびっくりして、すぐササを刈り取って、味噌蔵の味噌桶につきさしました。すると、不思議なことに今までたちこめていた腐った臭いが消えて、元通 りの味噌になりました。
 このことを聞いた人たちは、御祖天神のお力にびっくりして、前よりもいっそうお宮にお参りするようになりました。このことがあってから、人々は、このお宮を味噌大神と呼ぶようになったということです。
 このお宮には、今も日本各地から味噌作りをしている人々などがお参りに来て、持ってきたササを境内に植えているというこです。

 おしまい。
 
 


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