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むかし、天草の棚底というところに、三人の兄弟が住んでいました。三人とも体が大きく、とても力持ちでしたが、そろってたいへんな怠け者で、いつもぶらぶらと遊んでばかりいました。そんなありさまでしたから、三人はしだいに村人からも仲間はずれにされるようになっていました。
ある日、この村で、黄金寺の堤の公役がありました。公役というのは、橋や堤防を造ったり、道を修理したりなど、公の仕事のために役所にかり出されて働くことです。この日、村人たちは、朝早くから堤に出てせっせと働いていました。なにしろ、子どもや年寄りのほかは、みんなが出そろって働くのですから、仕事もどんどん進んでいきます。
そのうちに、村人は、あの三人兄弟が出てきていないことに気づきました。
「あっどま、また来とらんばい。(あいつら、また来てないぞ)」
村人たちは、いつものこととはいえあきれかえって、若い者を家まで呼びにやりました。
使いの者が兄弟の家につくと、家の中はしーんと静まりかえって、ネコの子一匹いません。
しかたなしに引き返そうとすると、向こうの木の下で、釣ってきた魚を食べながら酒を飲んでいる三人が目に入りました。
三人は、日ごろからお寺などにもお参りしたこともなく、この日の黄金寺の公役も知っていながら遊んでいたのでしだ。
知らせをうけた村人たちは、仕事をほうりだして三人のところへかけつけました。
「公役に来んとは、わっどん(おまえたち)ばっかりぞ。」
「黄金寺さんのばちばあてらすぞ(ばちをお当てになられるぞ)。」
などと、村人たちは口々にののしりました。
しかし、兄弟たちは、ただにやにや笑っているだけで、仕事をしようとはしませんでした。
ついに、がまんしきれなくなった村人たちは、今までの三人の行いについて、口ぎたなくののしりはじめました。すると、三人の兄弟たちも怒って、
「ようし そんなら今夜赤馬ばとばせてくるっぞ(やるぞ)。」
と言い返しました。赤馬というのは、火事のことです。
ところが、その夜、村に大火事がおこって、たくさんの家が焼けてしまいました。村人たちは、すぐにあの三人のしわざに違いないと思いました。
三人は捕らえられて、裁きを受けることになりました。ほんとうのところは兄弟にとって身に覚えのないことでしたが、日ごろの行いの悪さや、前の日「赤馬ばとばせてくるっぞ。」と言ったことなどから、三人が火をつけたということになってしまったのです。
裁きの結果、いちばん上の兄は薩摩に、二番目の兄は天草の湯島に、いちばん下の弥右衛門は罪が軽いということで、棚底の向かいの島に流されました。
弥右衛門は、流されてからというもの、土地を耕ししながらまじめに暮らすようになりました。
弥右衛門は力持ちでしたから、大きな岩でも一人で転がしたり、大木を切りたおしたりして田畑を開いていきました。また、今まで見向きもしなかったお寺にも、お参りするようになりました。
棚底の村人たちは、弥右衛門の態度にすっかり感心して、言葉をかけてやったり、めずらしい食べ物を持たせてやったりするようになりました。
ある日、弥右衛門が寺参りをすませて家へ帰るとちゅう、家もないさびしい道を歩いていると、むこうの方からやってくる一つ目玉
の化け物とばったり出会いました。この化け物は、弥右衛門を見ると、にたあっと笑って山の方へ行ってしまいました。弥右衛門は、おそろしくておそろしくてたまりませんでしたので、その足で村人たちのところへとんでいって話しました。
村人たちは、それを聞くと、
「そりや、観音様が自分をまつってくれと出てこらした(来られた)とだろう。あんたがよか人間になったけん(から)、あんたに会いにこらしたつばい。」
と言いました。
そこで弥右衛門が住んでいる島に観音様をつくることになりました。それからは、弥右衛門はもちろんのこと、村人たちも、ことあるごとにこの観音様をお参りするようになりました。
それからというもの、天草に伝染病がはやっても、この付近の人は病気にかからなかったし、今も長生きするお年寄りが多いということです。それもみんな観音様のおかげだと、このあたりの人々は信じています。この観音様をまつってあるところは、倉岳町棚底目玉
と言いますが、この地名は、この一つ目玉の化け物にちなんでつけられたのではないかと言われています。
おしまい。
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