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玉名市の築地というところに、こんもりと小高い場所がある。そのてっぺんに、高さ5メートル、周囲が10メートルばかりの大きな岩がでんとすわっている。近くの人たちは、この岩を「米噛石」といって、しめ縄をはり、山の神様として、崇めていた。
この話は、なぜこの岩が「米噛石」と言われるようになったのかを伝える話である。
今から何百年かずっと昔のこと、この近くの山に一人の山男が住んでいた。この山男は、髪はぼさぼさ、目はギョロギョロ、あご髭は真っ黒で大きな体は上半身裸、なにかのけものの皮で作ったパンツをはき、見るからに恐ろしい大男だった。
食べ物はというと、山の木の実が主食で、粟、ドングリ、山桃、山グミと、手あたりしだいにつかみ取っては食べていた。山の木の実が無くなろうものなら、山を下って田畑へ行き、麦があれば麦をちぎり、芋があれば芋を掘り返し、また稲の実る頃となれば、闇夜にこっそりとやって来て、ものすごい大きな手で稲穂をしごいては食べていたのだ。
実をいうと、この山男は、以前はずっと山奥の龍神の森に住んでいて、龍神様にお仕えしていたのだったが、あまりに山を荒らすので、龍神の森から追い出され、あっちこっち流れ歩いてこの築地の山に辿り着いたというわけである。
そして、ある月夜の晩、山の木の実もおおかた平らげてしまったので、今夜は村までおりて、芋を掘って食べようかと出かけたところ、思いがけないところに大きな岩が道をさえぎっていた。
「なんだ、こいつ。俺様の通り道をふさぐとは。」
と、腹をたてながら、ひょいと目についたのが、岩のくぼみにある大きな二つのにぎり飯。
「ありゃ、こりゃ、にぎり飯だぞ。どれ頂戴しようかな。」
と、二つともぺろりと食べてしまったのである。
どうして、こんなところににぎり飯が二つも供えてあったのか。それは、村の人が交代でお供えしていたのだ。山の神様は豊年の神様でもあった。
「どうか今年もお米がたくさんとれますように。」
とお願いしながら、村の人が順番を決めてお供えしていたのである。豊年の神様なので、「米の神様」とも言っていた。
「しめた。しめた。」
山男は、「もうこれで田んぼまで行く面倒さがなくなった。」とほくそ笑んで喜んだ。
村の人たちは毎朝供えるにぎり飯が、翌朝になるときまったように無くなるので、てっきり、山の神様がいただいてらっしゃると思い込んでいたが、実は山男が毎晩頂戴していたようなわけである。
その年は米がたくさんとれたので、「これもひとえに米の神様のおかげだ。」と、大きなにぎり飯がどっさり、いつもいつも供えられていたのである。
やがてこの平和な村にも寒い冬がやってきた。山の木の葉も散ってしまって、あの大きな岩も、小高い丘の上にはっきりと姿を現した。山男は冬ごもりの穴ぐらから出て来てはにぎり飯を食べるのが楽しみとなっていた。
そして、寒い冬が去って春が訪れた。田植えをするため、あちこちに苗代が作られた。春には雨がほどよく降ったので、苗も立派に育ったが、どうしたことだろう。四月になったら雨が一度も降らなかったのである。五月になったらと思っていたが五月もとうとう降らない。六月もだめで田植えも出来ないしまつ。「もう七月だ。」と、村の人たちは騒ぎだした。「このままいったら、今年は米はひと粒もとれなくなるぞ。」と、人々は空を仰いではため息をついた。
何十年間、一度もなかった日照りが、この村におしよせて来たのである。
このことは、米の神様である大きな岩にもすぐ影響がでた。お供えのにぎり飯がだんだん小さくなり、挙げ句の果
てには、誰もにぎり飯を差し上げないようになってしまった。
日照りは相変わらず続いた。村中は深い悲しみに包まれた。どうしてでも雨を降らせねばならないと、毎日毎日、雨乞い太鼓を鳴らしたり、龍神様にお願いしたりして、村人たちは必死になって立ちまわった。
こんな大騒ぎになっている村の片隅に藤兵衛さんというお百姓が年老いたお母さんと二人暮しをしていた。藤兵衛さんは働き者で正直者、その上にたいへんな親孝行ものという評判だった。
米の神様に差し上げるにぎり飯も、藤兵衛さんのがいちばん大きかったが、やはりこの日照り続きでは、にぎり飯もだんだん小さくなるのも仕方なかった。しかし誰もにぎり飯を供えなくなったときでも、藤兵衛さんだけは、自分の順番ばかりでなく、人の分までもと小さいながらお供えしていたのである。
山男は藤兵衛さんのにぎり飯を楽しみにしていた。そして、その藤兵衛さんにも、とうとうにぎり飯をお供えすることの出来ないときがやって来た。貯えの米がすっかり無くなったようすである。
山の木の実もすっかり無くなり、田や畑には何もなく、その上にぎり飯も手に入らなくなった。山男もこれにはたいへん困ってしまった。困ったくらいではなく、だんだん痩せ衰えて元気もなくなってしまった。このままだったら山男も飢えて死んでしまうにちがいない。
痩せ衰えた山男は、村に行けば何か手に入るだろうと、ふらふらしながら山の麓におりて来た。そしてやって来たのが、いちばん頼りにしていた藤兵衛さんの家。そしてなんの気なしにそっと台所の格子戸から覗いて見た。とたんに山男は、「あっ。」と驚きの声をあげた。
「藤兵衛さんは正直者だ、親孝行者だ、と言ってるのは真っ赤な嘘だ。米がないと言っているのは嘘っぱちだ。見てみろ、白飯をうまそうに食べているではないか。おまけにお婆さんは卵までかけて食べている。ようしこ不正直ものをやっつけてやろう。」と考えた。
明くる朝、山男はひょろひょろしながら村の顔役のところへやって来た。
「私は裏山に住んでいる山男です。かねがねは、皆さんが恐ろしがるので、姿を見せないようにしていますが、あまりに腹が立つので、たまりかねてやって来ました。というのは藤兵衛さんのことです。藤兵衛さんは正直者だと言っているのは大間違いです。山の神様には何も供えず、自分は家で白飯をたらふく食ってますよ。」
「そんなはずはない。藤兵衛さんにかぎって。それは何かの間違いだろう。でも、そう言われたら、たしかめないわけにもいくまい。」
そこで、その日の夕方、村の主だった人たちと連れだって、山男はもう一度、藤兵衛さん方の夕ご飯を見ることになった。
さて、夕方になると、山男は村の人たちと藤兵衛さん方の裏へやって来た。みんなはじっと家の中を見回した。すると、ちょうど夕ご飯といただいている時だった。
「おいおい、山男さん。あれは米の飯ではないぞ。」
「なに・・・?」
と男は目を皿のようにして、藤兵衛さんとお婆さんが食べている茶わんに目をそそいだ。しばらくして、山男は「わあん。」とうなりながら、へなへなとくずれおれてしまった。
藤兵衛さんが食べていたのは豆腐のおからで、お婆さんが食べていたのは米がひと粒も入っていない、粟ばかりのご飯だった。おからは白色、粟は黄色で、それを白飯と卵飯に見間違えたのだった。
山男は赤恥かいて、すごすごと山へ戻って行った。明くる朝、山男は何を考えたのか、村の広場にやって来て、村の人たちに集まってもらった。そして言うことには、
「私は藤兵衛さんが正直者で親孝行だということを昨晩しみじみと知りました。そして村の皆さんたちが日照り続きでこんなにも困っていらっしゃることも十分わかりました。今から私は奥山の龍神様のところへ出かけます。どんなことがあっても、この築地の村に雨を降らせていただくようお願いして参ります。私は元々、龍神様のお怒りをこうむっているものですが、こんな村の一大事にじっとしていれましょうか。お世話様になった村の皆様方に命を捧げる覚悟でございます。命にかけて、明日の昼までには雨を降らせてごらんにいれます。」
山男はじっと奥山のほうを見つめながらこう言ったのである。そして、痩せ衰えた体から最後の元気をふるい出し、まるで大風のようになって奥山へ走り去って行った。
翌日になった。村人たちは天を仰いだ。やはり空には雲一つなく、まったく雨は降りそうになかった。十時ごろになっても空はギラギラとかがやき、田も畑も死んだようにあえいでいた。
「やっぱり山男は嘘を言った。藤兵衛さん方で恥をかいたその言い訳に、あんな事を言うてはみたものの、あの痩せ衰えた体ではなあ・・・。」
十一時になった。雨のきざしはない。村人たちは天を仰いでため息をついた。ワラをつかむ思いで山男の言葉を信用していたのだったが。
そして約束の十二時近くになった時、村のひとりが突然大声で叫んだ。
「あっ!雲だ!」
海の向こうの山の上に雲が現れたのだ。昔からあの山の上に雲が出ると雨が降るという言い伝えがあったのだ。
人々はじっとその雲を見つめた。言い伝えは本当だった。白い雲はみるみるうちに黒い雲となり、あっという間に空いっぱいに広がった。
「雨が降るぞー!」
ばらばらと雨が降ってきた。
「雨だ!雨だ!」
雨はざあざあ音をたてて、まるで夕立ちのようだった。
人々は、雨を両手に受けて天を拝んだ。山男が命を縮めたにちがいないこの大雨に人々は泣いて感謝した。
こうして村はよみがえった。村人たちは喜び勇んで田植えに取りかかった。田植えが済んでほっと胸をなでおろした頃、村人たちは、再び山男の事を思い出した。あれから今まで山男を見たものは一人もなかったけれども・・・。
そのうちに実りの秋がやってきて、稲はたわわに実った。村人たちは豊年の神様と信じていた山の大きな岩に、われ先にと大きなにぎり飯をお供えしたのである。
明くる朝になると、にぎり飯はやっぱり無くなっていた。「米神様」と言っていたのが、いつの間にやら、「米噛石」と言うようになった。この村では、米を食うことを米を噛むと言っていたからだ。
その後も、山男を見たものは一人もなかった。山男は、本当に死んだのか、生きて龍神の森で暮らしているのか、それとも「米噛石」のある山に帰って前のようににぎり飯をありがたくいただいているのか、それらの事は一切わからなかった。
いっぽう、藤兵衛さん親子は、その後を末永く幸せに暮らしたということである。
おしまい。
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