鬼のかまど
水俣市に伝わる昔話。
「鬼のかまど」という大きな岩山にまつわるお話です。

 


 

 水俣市の深川に、大鷹山という小高い山があります。その頂きあたりに鬼のかまど(釜石)と呼ばれる、三つの岩山がそびえています。この山には、むかし鬼が住みついていて、ふもとを通 る旅人をつかまえては、かまどにかけた大きな釜で煮て食べたということです。大鷹山のそばにある高岳山は、旅人をとらえて食べた食べかすの骨がたもり積もってできた山だと言われています。
 水俣地方に残る鬼の話は、こんなこわい話ばかりではありません。ゆかいで親しみのある鬼の話のほうが多いのです。

 ある日のことです。
 大鷹山のあたりは一面雲一つなく晴れわたり、ときおり西の水俣の方から磯の香りがただよってきそうな昼さがりのことでした。きょうもかまどからさほどはなれていない人見岳に、一ぴきの赤鬼がたいくつそうにすわっておりました。そこは、このあたり一帯でもいちばん見晴らしがきく所で、遠く矢筈岳や鬼岳を望み、眼下には、久木野川にそって大口方面 へ通う街道や、津奈本方面に抜ける山道が一目で見渡すことができました。鬼たちは、毎日人見岳に登っては、四方の街道を見張り、通 りがかりの人を見つけては、つかまえていたのでした。
 ところが、きょうは、どうしたことでしょう。赤鬼が先ほどから小手をかざし、目を皿のようにして、あちこちの山陰や小道をなめるようにさがしているのですが、人っ子ひとり見あたりません。いつもは、だしごろ牛(山奥で切った材木を、ふもとまで引いて下りる丈夫な牛)を引いて遠くの山伝いに通 る義助どんの姿も見えるのですが、きょうばかりは、それさえも見えませんでした赤鬼もほかの鬼たちも、先ほどから腹はへってくるし、たいくつでたいくつでたまりませんでした。
「ええい。やめた、やめたぞう。」
と、だれかがさけびました。それを聞いたほかの鬼たちは、いっせいに大きなのびをしました。
「ようし。きょうはか水俣に行くぞ。」
と、鬼の大将が声をかけますと、ほかの鬼どもは、待ってましたと喜びました。相談のまとまった鬼どもは、大石伝いに水俣の里へと急ぎました。
 やがて、諏訪神社の大楠の所まで来ると境内で子どもたちが遊んでいるのが見えました。子ども好きの青鬼は幹伝いにするするとすべりおりたちまち子どもと仲良く遊びはじめました。
 やがて、陣の坂の鬼族を訪ねる者、秋葉山の鶏石に遊びにいく者と、あれよあれよというまに散っていってしまいました。
 どれほど時間がたったことでしょう。西空の天草島の方向に、赤い大きな太陽がしずみかけるころ、どこからともなく、
「おうい、帰るぞう。」
と、大将のどら声が聞こえてきました。
 帰りがけに鬼たちは、方々の蔵を見て回り、少しぐらい盗んでも気づかれないような、たくさんつまった米蔵から、一俵ずつひょいひょいとかついでは持ち帰りました。そして、あの大岩のかまどにどんどん投げこんで、ぐつぐつ煮て食べるのでした。
 ところで、この鬼どもには、不思議なくせがありました。それは、食べるだけ食べると、きまって食べ残しの御飯を大きなおにぎりにすることでした。そして、それを八個ずつの竹の皮に包んでは、高岳山の道筋に置くのです。
 さて、いつもは、とんでもない悪さをする鬼どもも、お日さまのある日中は、おとなしかったようでした。特に、近所の働き者の孝行むすめや孝行むすこには、やさしくしたようです。
貧しいために、乳飲み子に飲ませる乳も出ないような、働き者の若い母親を見つけると、竹の皮で包んだ大きなおにぎりをあたえたと言われています。もっと不思議なことに、高岳山の竹の皮の包みは、働き者で孝行者の目にだけ見えて、あまり働かない者には、いくら高岳の道を歩いても見つけることはできなかったと言われています。
 今でも鬼のかまどから高岳山の頂きあたりを見上げると、鬼どもに冷された人々の骨でしょうか、それとも、大きなおにぎりでしょうか、白いものがぽつぽつと見えるということです。

 おしまい。

 


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