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八代の二見という村に「ひぐり」という所があった。ここは、道をはさんで、片側は、昼でもうす暗いスギ林、反対側は、下が見えないほど深い谷で、崖には、一本の大きなつばきの木が生えていた。
このつばきは、そうとう年数が経っているのだろう。根元は腐って、太いほら穴になっていた。枝や葉は、道におおいかぶさっていた。それで、日の暮れも早く、夜は誰も通
ろうとする者がいないほど気味が悪かった。ここに一匹の古だぬきがいた。
ある日、産婆のおふでさんは、洲口という村でお産があったので出かけて行った。
いつもなら明るいうちに帰るのだが、難産だったので、ひぐりまで来たときには、すっかり暗くなっていた。おまけに雨まで降ってきたので、いっそう気味の悪い気持ちがしてきた。雨に濡れながら走るように急いでいると、後ろから、誰かがやって来るような感じがした。恐る恐る振り返ると、美しい女の人だった。
「おばさん。風邪ひきなさりますばい。わたしゃ、傘ば二本持っとりますけん、どうぞこん傘ばさしなはりまっせ。」
そう言って傘を一本差し出した。
「わあ、すんまっせん(すみません)。おかげで濡れません。」
おふでさんは、喜んで傘をさして帰りを急いだ。
ところが、帰ってよく見ると、太いつばきの枝を一本かついでいて、頭からずぶ濡れになっていた。
おまけに。みやげに貰ったテンプラと芋の煮物は、ふろ敷き包みだけになっていた。
この話は、あくる日、村中に広がった。村の者は夜道を歩くのをいやがったが、どうしても通
らなければならない者があって、たびたびだまされたり、おどかされたりした。
そしてまたある日、よへいどんが日奈久の親戚から法事によばれた。このよへいどんは、とても肝っ玉
の小さい人だった。だから、家を出るときから「きょうは、くろう(暗く)ならんうち戻るごつしょうばい(戻るようにしよう)。」と、ひとりごとを言っていた。ごちそうを食べながらも「くろうならんうち、戻ろう。『ひぐり』の所が恐ろしかけん。」と心配していた。
でも、根っからの酒好きのよへいどんだから、一杯が二杯、三杯、四杯と盃を重ねるうちに、とうとう酔っぱらってしまい、恐ろしいひぐりの事も忘れてしまった。
いよいよ家に戻ろうと、いい気分で帰りはじめた。ひぐりにさしかかる頃は、もう十時を過ぎていた。
「わあ、気しょくの悪かねえ(気味が悪いなあ)。しもた(しまった)。酒ば飲まんで、あっかうちに戻るごつ(明るいうちに戻るように)すればよかったばい。こらあ、しもた。酒ば飲まんならよかった。だっか(誰か)通
るか来るかせんかね(しないかな)。」
道の真ん中に座り込んだよへいどんは、日奈久のほうを見ながらつぶやいた。すると、一人の若者が、すっと足音もたてないで目の前に現れた。
「おっさん、おっさん。夜中にどこに行くとな?」
「おっ(俺)かい。おらな、二見まで戻っとたい。」
「あらあら、そぎゃん(そんなに)酔っぱろうて。この辺な、悪かたぬ
きの出て、だまくらかすて話ばい。」
「うん、わかっとるたい。だけん(だから)、ここにだっか来っとば待っとったつたい。」
「おっさんのごつ酔っぱろうとると、狙われるたい。危なかけん、おっが(俺が)連れていこか。」
と言って、足のふらふらするよへいどんの手を引っ張り、自分の右肩につかまらせた。
「そん包みは、重かごたるね。おっが持ってやろか。」
と、言うより早く、よへいどんの右手にくくってあるみやげの包みを取り上げた。
よへいどんは、
「ぬしゃ、親切かな(お前は親切だな)。よか男ばい。すまんねえ。世の中にゃ、いさぎい(たいそう)親切か者のおるばいね。ありがたかこつばい。」
と、口の中でぼそぼそ言いながら、若者につかまって、よたよた歩いた。
君が渕の近くまで来ると、茶店の明かりが見えた。すると、若者はそわそわしだした。
「おっさん、おらあ小便ばしょうごつなったけん(したくなったから)、して来るな。」
若者は、よへいどんを突き飛ばすように押しやって、地蔵さんの後ろに走り込んだ。よへいどんは、ふらふらしながら待っていたが、いつまでたっても出て来ない。待ちかねて、地蔵さんの後ろを見に行ったが、若者はいない。今まで小便の音とばかり思っていたのは、実は谷川の水音だった。慌ててさがしまわると、地蔵さんの後ろにみやげの包みがあるだけで、若者の姿は見えない。よへいどんは、谷川の水音をぼんやり聞いていたのが馬鹿らしくなって、
「あん若者は、どこに行ったつだろうか。ははあん。もう茶店もすぐになったけん、安心て思うて、戻ったつばい。一杯飲ませようて思うとったとに。あらあら、包みはここにちゃんと置いとる。」
と感心しながら帰った。
やっとのことで家に着くと、戸口をどんどん叩いた。
「かあちゃん、かあちゃん。今もどったばい。ああ、きつかった(疲れた)。」
「えらい遅かったな。ひぐりじゃ、どうもなかったな?心配しとったばい。」
「なんのなんの。どうもなかったばい。若者と一緒に戻って来たけん。」
「そらあ、よかったな。で、そん若者は、もう戻らしたつな?うちに連れてくればよかったたい。」
「そっがたい(それがね)。君が渕の地蔵さんの所で、小便ばするて言うて行ったまま、おらんごつ(いなく)なったもんね。一人で帰ったつだろ。」
「ふうん。そらあおかしかな。ところで、そん包みは、なんな?」
「ああ、こらあ法事のみやげたい。うまかばい。」
よめさんが、ふろ敷きを開けて、重箱を見ると、
「あらまあ、こらなんだろか。ああた、見てみなっせ。こらなんな?」
と、叫んで、目を白黒させた。よへいどんは、びっくりしてのぞくと、これはなんという事だろう。
その中には、石ころや馬の糞、それに古いわらじなどがいっぱい詰め込んであった。
「ちくしょう。あやつぁー、たぬきだったつか。」
酔いがいっぺんにさめてしまった。よめさんは、遅くなったうえ、馬の糞のみやげだったものだから、ぶすっとふくれて、さっさと布団にもぐってしまった。
ところで、この話も、次の日には村中に広がった。村の人々は、おかしいやら恐いやらで、しばらく大騒ぎした。村の人々は、それからは、暗くなったら、どんなに大事な用事があっても、誰もひぐりに近付こうとしなかった。
この話を聞いた佐七は、二、三日、家の中に閉じこもって考えたが、
「ようし、俺がそんたぬきば、やっつけてやる!今に見ておれ!」
と言って出かけた。そして佐七は、日奈久で日の入りを待った。
「そろそろ日の暮れるばい。今から戻れば、あんあたりでちょうど暗くなるだろう。」
そこで、佐七は、たぬきの好きな日奈久名物のちくわと、まんじゅうを買って戻りはじめた。酒を少し飲んでひどく酔っぱらったふりをして、ひぐりまで来ると、ちょうど薄暗くなった。大きなつばきの木の下まで来ると、年をとった侍の格好をした男が出てきた。
「ああ、これこれ、若い者が、そんなに酔っぱらってなんとする。足取りもおぼつかないではないか。
どこまで行くのじゃ。その様子では、どこにも行けまい。拙者が連れて行こう。」
と言いながら近付いて来た。佐七は「そうら、来た来た。今夜は侍に化けたばいな。」
と、心の中で思ったが、
「こらあ、どうもすんまっせん。道もよう見えんですけん、よろしゅう頼んます。」
と言って、侍の肩につかまった。「たぬきは、どぎゃん(どんなに)よう化けても、尻尾は隠しきらんていうこつだけん、こいつの後ろにまわって、尻尾ばつかんでやろう。」と思って、後ろに行こうするが、相手にうまくかわされてしまう。
「おっさん。小便ばしようごたるけん、先に行ってくれんな。」
「なに、小便とな?うん、では拙者も一緒にやるとしよう。」
そう言いながら、侍は、横に並んでやりだした。「うーん。こいつはなかなか用心深かばい。」と、佐七は、しかたなくいっしょにやりだした。
佐七は次の手を考えた。
「ありゃ、こら困った。わらじの紐のゆるんだ。直すけん、おっさんは先に行きなっせ。」
「なに、わらじがゆるんだとな?よしよし、拙者もつき合おう。」
佐七は「ちくしょう。決して後ろば見せんつもりばいな。」とは思ったが、しかたがないので、ゆるんでもいないわらじの紐を結び直すことにした。
「ああ、腹ん減った。おっさんは減らんな?」
「うん。拙者も少々。でも大丈夫じゃ。我慢するとしよう。」
「ああ、腹ん減った。腹ん減った。あらあら、今思い出した。よか物ば持っとったばい。ちくわとまんじゅうば持っとったつたい。おっさん、やろか?」
「うん。いやいや。我慢しようか。ちくわか。ううん、まんじゅうか。うまいだろ・・・いや、我慢・・・、ちくわ、まんじゅう。まんじゅう、ちくわ。」
侍は、横目で佐七の持っているふろ敷き包みをじろじろ見ている。
「おっさん。半分やろか?ばってん、半分なら腹一杯にゃならん。困ったねえ。」
「いや、拙者は、あの、その、ちくわやまんじゅうは・・・。」
「うん。そうたい。おっさん、よか方法ば思い付いた。」
「なに?よか方法とは、いったいどうするのじゃ?」
思わず体を乗り出す侍を見て、心の中で「しめた!」と思った。
「この包みを遠くに投げて、走って先に拾うたもんが食うてよかていう方法たい。な?よか方法だろ?」
「いや、拙者は走って行って拾って食べるなど、そんな見苦しいことは・・・。」
「よかよか。遠慮せんで。ちくわとまんじゅうばい。」
「食わん、食わん、やめろ!」
「一、二の三!そうら、よーいどん!」
「やめろ!ちくわだあ、まんじゅうだあ!」
大声を出しながら、包みめがけて走りだした侍に向かって、佐七は叫んだ。
「見えたっ!太か尻尾の出とるぞ!」
佐七は、いきなり両手で尻尾をつかんで力一杯引っ張った。
「痛いっ!無礼者!放せ、放せ!」
「何が無礼者か!たぬきだろ、お前は。人様ば、だまして。この無礼者!」
「くうっ。」
と、悲鳴をあげて、正体を見せたのは、やはりたぬきだった。佐七は。たぬ
き汁にして食おうと思っていたが、しょんぼりしているのを見ていると、かわいそうになってきた。
そこで、おしりを三回叩いて、
「もう悪かこつは、決してするなよ。」
と言い聞かせて、二見の山に逃がしてやったそうな。
おしまい。
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