|
御船盆地を流れる御船川は、上島で緑川といっしよになり、有明海に流れこんでいます。
この御船川は、昔は、今城、小坂村の間を北に流れ、屋形川と合流していました。そのために、当時の秋津・大島・田迎・西村などの村人は、大雨が降るたびに川の水がはんらんするので、たいへん困っていました。
そこで加藤清正公は、辺田見平をかんがいし、御船原沿いに新しく川を掘って、堤防を築くことにしました。ところが平地や丘に新しく川を作るのですからそれは大変な仕事でした。やがて、工事も進み、小坂村までやってきました。今度は今までのように平地を掘るだけでなく、丘を削り取って掘り進まねばなりません。川沿いにある甘木部落などの人たちは、毎日のように部落総出で働きに出ました。
ところがある日、せっかく築きあげた堤防がたった一晩の大雨のために、あっという間に流されてしまいました。それでも気をとりなおし、前よりも頑丈な堤防を築きました。が、それでもやはりだめでした。大雨が降るたびに、堤はひとたまりもなく洗い流されてしまうのでした。困りはてた村人たちは、吹に人柱を立て、
堤防の作り方にも工夫をこらしました。竹を編み、その中に赤土を練ったものを固くつめて、頑丈な堤防を築いたのです。
ところが不思議なことに、今度は、せっかく築きあげた堤防の中を流れる川の水が、清正公が作業を指揮するために座った床几のマツのあたりから下流にかけたところで急に消えうせてしまうようになりました。村人達は、不思議さに驚くよりもがっかりしました。せっかく堤防が出来上がっても、田をうるおす水がなければなんにもなりません。肝心の水がどこへ消えうせるのか、跡形もなくなるのです。
ある寒い夜のことです。清正公は、不思議な夢を見ました。あれほど丈夫に作られた堤防が、今にも崩れようとしているのです。村人達が、死に物ぐるいになって走り回っています。そのときです。
どうっというすさまじい地鳴りとともに、堤防は、ぱっくりと破れました。耳をつんざくような水音。
村人達の黒いかげが濁流に浮き沈みしています。
「わあっ。」
と叫ぶ者がいました。声のした方をふり向くと大きな龍、うず巻き流れる水の中を、ゆうゆうと水煙をあげながら泳いでいます。八つの頭、鏡のようにきらきら光る目玉
。かっと開いた口は、今にも火を吐そうな勢いです。やがて龍は、八つの頭を水面
高くはね上げたかと思うと、川底深くもぐりこみ、それっきり浮かび上がってきませんでした。
ふっと夢からさめた清正公は、さっそく家来に川向こうの山を探らせました。すると、川向こうの迫田あたりで、夜中に青白いあやしい光を見たという者、また、山中では、大蛇を見たという者が現れたのでした。
清正公は、夢とあやしい光や大蛇を見たという者の話から、ふと思いあたるものがありました。水が消えうせてしまうのは、水の神の怒りにふれているからに違いないと思いました。そこで、清正公は、日蓮上人が鎌倉で雨ごいの祈祷をしたときに祈ったという水の神、八大龍王にちなんで、「八頭大龍王」と名づけたほこらを迫田に建て、熱心にお祈りしました。この後、御船川には再び豊かな水がよみがえり、村人たちは安心して田畑を耕せるようになったということです。
村人たちは、このほこらを龍王さんと呼び、大正時代までは、日照りになるとほこらで雨乞いの行事をやっていましたが、今は二宮神社の境内に移され、雨ごいをすることもありません。
後の小坂村八龍の地名は、清王公の夢の中に現れた龍にちなんでつけられた名前だと言われています。
おしまい。
|