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今から四百年ほど前、熊本市の横手に「横手の五郎」と呼ばれる若者がいました。五郎は、天草で加藤清正と一騎討ちをして負けた木山弾正の子だと言われています。
五郎は、小さいときから力持ちになりたいと思っていました。それで、横手の毘沙門天に、
「どうか、われに大力を授けたまえ。」
と、毎日お祈りに通いました。また、重い石を持ち上げたり、それをかついで歩いたり、力持ちになる修行も怠りませんでした。もともと力があるところにもってきて、毎日毎日修行したものですから、そのうち、五郎はたいへんな力持ちになってしまいました。そして、いつしか「横手の五郎は七十五人力」とみんなから言われるようになりました。
熊本市のほぼ中心にある熊本城は、天下の名城として知られています。この城は、国守となった加藤清正が築いたものです。城を築くときにはたくさんの物がいります。
たくさんの材木、たくさんの土。
たくさんの瓦、たくさんの人。
そして、たくさんの石。
その頃、横手の五郎は、石垣の石を運ぶ人夫として働いていました。城は半里(約2km)ほど離れた花岡山から、いろいろな石を運んでいました。大きな角石を運ぶのですから、何人かが組になって、うんうん言いながらかつぎ上げたり、荷車に乗せたりして城までかつぎ上げます。そんな中で、怪力五郎は、ひと際一目を引きました。なにしろ四、五人でふうふういっている大石を、
「俺が持っていってやる。」
と、いともたやすく肩にかついで運んでいってしまうのですから。
「横手の五郎は怪力ばい。」
みんなはそう言って、五郎を誉めたたえました。
ある時、重さが五百三十貫(約二千キログラム)もある、二股になっている角石を運ばなくてはならなくなりました。数人の男が動かそうとしましたが、びくともしません。みんなは困ってしまって、がやがやと相談しているだけでした。そこへ五郎がやってきました。
「さすがの力持ちも、こん石だけは運ぶこつはでけんばい(運ぶことはできないだろう)。」
「いくら七十五人力ていうてん(といったって)、動かすこつもできまい。」
と、みんな口々に言いました。五郎はだまって大石のそばまで来て、その二股の石にむんずと組み付いたかと思うと、ヤッとかけ声をあげて軽々と持ち上げてしまいました。そして、その二股のところに首をかけ、のっしのっし運んでいってしまったということです。
このように、五郎は人の二倍も三倍も働きました。それで、清正も、抜け穴の工事や大事な工事にも、五郎を使ったということです。
そんなある日、一人の男が五郎に聞きました。
「五郎よ。ぬしゃ、そぎゃん働いてどぎゃんすっと(お前、そんなに働いてどうするんだ)?人の何倍もがんばって。」
「こん城は、いつか自分のもの、自分の城になる。そう思えば、どぎゃん(どんなに)つらか仕事でん、どぎゃん重か石ばかついできてもきつううはなか(疲れない)。」
五郎は父のかたきの清正を討って、城を自分のものにしようと思ったのでしょうか。
清正は、噂を聞いて、このままにしておくことはできないと思いました。
熊本城の秘密を知っている五郎。
自分をかたきとして狙っている五郎。
自分の城だと言っている五郎。
末恐ろしい奴。殺してしまえ。
清正は井戸工事の仕事を五郎に命じました。そして、五郎が井戸の底で仕事を始めた時、家来に上から大石を投げ込ませました。生き埋めにしようと考えたのです。
ところが、井戸の底の五郎は、落ちてくる石を両手で受け止めては投げ返してきます。そのうち、片手で受け止めては足の下に敷き、また片手で受け止めては足の下に敷きしているうちに、だんだん五郎は井戸の上の方にあがってきます。上にいる者は気が気ではありません。五郎は、はじめは、あやまって石を落としているものと思っていましたが、やがて、自分を殺す為に石を落としているのだということに気がつきました。今はこれまでと覚悟をきめた五郎は、
「俺を殺すなら石ではだめだ!砂利を入れろ!」
と怒鳴りました。井戸の上のみんなはなるほどと思い、石のかわりに砂利を入れ始めました。みるみる五郎の足首が埋まり、膝が埋まり、胸が隠れ、やがて、五郎の体は、土砂の下に沈んでしまったということです。一説には、城の人柱にされたのではないかという話もあります。
ちなみに、五郎が運んだといわれる、あの二股の大石は、熊本城の天守閣の南側、月見やぐら跡に「五郎の首掛石」として置かれています。
熊本城に行かれた際は一度ご覧になってみてください。ほんとに、人間が一人で運んだのか信じられないくらい大きな石ですから。
おしまい。
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