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エッセイ 熊本の空の下



   

 「幽霊を見る人」

 この世には、「幽霊が見える」という人たちがいる。霊能者とでも言うべきか。
 その人たちは、夜中に部屋の中に誰かが立っていたり、暗いトンネルで変な人影を見たり、道端に血だらけの人が立っているのを見たり、とにかく「生命体ではない何か」が見えるらしい。
 でも、僕はその目撃談のほとんどが見間違いだったり、妄想であったり、作り話であるとしか思えてならない。
 あ、そうだ、最初に断っておかなければならないことがある。
 それは、

 「世の中には科学では説明できない霊的なものは確かに存在する。そしてそれを認める」

 ということ。その辺を踏まえて読んでほしい。

 さて、基本的には僕は幽霊というものは信じない。それは、見えないから。
 でも何で見えなくて信じていない幽霊の存在を認めているのか?
 それは感じたからである。
 90年頃だろうか。山鹿に、住んでいた人が一家心中か、全員が殺されたかで誰も住んでおらず、廃虚となった、通称「ホワイトハウス」というオバケが出ると有名な家があった。その家は普通の家なのだが壁が白かったので、そう呼ばれるようになったらしい。
 まあ由来はともかく、そこへ肝試しに行こうということになり、深夜に6人ほどで車2台に分かれて向かった。
 1時間ほどで到着すると、メンバーの一人がこう言った。
 「二階の窓ば見よると家の中からオバケの出てきてこっちば見るばい。」
 二階の窓にはガラスが入っておらず、暗い窓がぽっかりと口を開けていた。たしかに真っ暗で不気味な空間を見つめていると、いかにも中からオバケが顔を出しそうで怖い。
 5分も見ていただろうか、全然見える気配はないので、僕はふと、玄関の方へ目をやった。
 すると、なんと!玄関のドアが開き(開いたというか、開いたように感じた)中から何か得体の知れない、「存在」のみが出てきたのである。
 目には見えない、でも確かにこっちに向かって、すぅーっと、ゆっくりと近づいてくるもの。その時僕は、本当に「存在」としか言いようがない幽霊を感じた。
 僕は「これはヤバい!」と直感し、あわてて車に戻った。
 車に戻ると、友達が既に乗っており、一点を見つめ、ぼーっとしている。どうしたのか聞くと、目の前を無数の光が飛んでいると言うのだ。
 いよいよ本格的にヤバいのではないかと、他のメンバーも呼び、逃げるように帰った。
 それ以来、信じてはいないが、存在を認めているのである。

 存在を認めるのに信じていないというのはおかしい話だが、それには理由がある。以下の事が幽霊の正体だと思うから。

 1. 幽霊とか霊的なものは、人の中にある「恐怖」が具現化したもの(もちろんそれは本人にしか見えない)であると僕は信じているから。
 2. そのようなものが見えないのに嘘をついて、見えるといって自分に注目して欲しい寂しい人がいるのではないかと思うから。
 3. 何らかの理由で精神が不安定になり、妄想・幻覚を見てしまっている人がいるのではないかと思うから。
 4. 友達・仲間が見た、もしくは見えたと言うので自分だけ見えてないのは孤立する恐れがあり、集団心理で「見えた」と周りに合わせている人がいるのではないかと思うから。

 そして、やっぱり、幽霊を見てしまう一番の原因は「恐怖心」だと思う。
 僕も実際、中学生の頃、夜中にトイレに行こうとして、暗がりに生首が浮いているのを見た。その時は闇に対し、恐怖心があったから。でも、近づいてよく見てみると、壁に掛かったスーパーの袋だったのだ。先述の「見えるといって自分に注目して欲しい寂しい人」だったら、よく正体も確かめもせず、次の日、友人などに「昨日の夜中、生首が浮いてるのを見た!」と大袈裟に話すに違いない。
 「怖い」という心がそういった霊的なものを見てしまう。
 今思うと、山鹿で感じた幽霊も不気味な暗い「お化け屋敷」といわれる家を目の前にし、恐怖心を蓄積した結果 、僕の心がそういう存在を感じさせたのかもしれない。
 まあ本当に幽霊がいて、本当にそれが見えている人がいるのかもしれないが、僕の結論は冒頭でも書いたとおり、幽霊を見るという人のほとんどの場合が何かの見間違いだったり、妄想・幻覚を見たり、嘘であったりで、幽霊が見える人はいないと思う。 

 最後に、もう一度断っておく。
 世の中には不可解な霊的なものは確かに存在し、僕はそれを認める。
 だから、異論・反論はやめてください。


 



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