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エッセイ 熊本の空の下



   

 「とある銭湯の最後」

 2006年6月30日。
 僕が子供の頃から通っていた銭湯「きかい湯」が、この日、閉業した。
 明治より営業していた老舗の銭湯だが、体力的に続けることが困難になって、閉めることを決意されたようだ。

 小さい頃は、ほんと深いお風呂だった。
 立って入っても、ギリギリでアゴが出る程度。しかも、尋常じゃないくらい熱い時がある。
 だから、いつも小さい方の湯船に浸かってた。小さい方は、そんなに深くないのだ。
 子供ながらに、いつかはあの熱くて深い方に入ってやるぞ!と思ってた。

 ラムネも美味しかった。
 風呂上りに、ビー玉を「ポンッ」とビンに押し込んで飲むラムネは、楽しくて、一味違う味。
 正月は酒風呂。こどもの日には菖蒲湯。冬至にはゆず湯。
 女湯から若い女性の声が聞こえてくると、ちょっとドキドキしたり。
 変なオッサンが洗い場でグウグウ寝てたり。
 明らかにカタギじゃない人たちに風呂を占領されてて入れなかったり。
 髪の毛フサフサの人が、頭皮をパカッと外して、えっ!カツラだったの!?という事があったり。
 チンチンを股に挟んで、独りで誰かと会話している不気味な人がいて怖かったり。
 本当にいろんな事があった。
 もう二度と、あの広くて熱くて深い風呂に入れないかと思うと、非常にせつない。

 誰も時間の流れに勝てないのか。

 どんなにどんなにあらがっても、決して勝つことはできないのか。

 いずれは僕も、時間の流れに勝てず、老人になり、墓に入る。
 始まりがあれば、必ず終わりがある。
 当たり前のことだが、時間の流れがある限り、この世に永遠など存在しないのだ。

 世の中に「絶対は無い」という人がいたが、「絶対」は確実に存在する。
 それは、「死ぬ」ということ。
 どんなに大金持ちな人でも、どんなに貧乏な人でも、どんなに偉い人でも、どんなに悪い人でも、どんなに健康な人でも、どんなに病弱な人でも、犬にも、猫にも、ニワトリにも、ゾウにも、アリにも、カブトムシにも、どんなものにでも平等にやって来る「死」。絶対に「死」から逃れられない。

 きかい湯も取り壊され、「死」を迎える。

 最後の日、夜勤を早退してでも最後のお湯に浸かりたいと思っていたが、どうしても早めに切り上げることが出来ず、営業時間に間に合わなかった。
 仕事の帰りに、とっくに営業は終わっていたが、銭湯へ寄ってみると、テレビの撮影をしていて、きかい湯の平井さんご夫婦がまだ残っておられたので、最後の挨拶をすることが出来た。

 長年にわたり、本当にお世話になりました。
 そして、今までありがとうございました。
 僕にとって、これからも「きかい湯」が最高の銭湯であり続けることでしょう。

 



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