「経験して初めて分かる『心』の痛み」
恥ずかしい事だが、僕は昔、身障者の事を差別していた。
車椅子の人、小児まひ、知的障害者等、普通の「人」とは思っておらず、ひどい言い方をすれば、「醜い生き物」と思うほどの、僕こそが本当に恥ずかしい醜い生き物だったのだ。
でも、今は違う。違うはずだ。
ボランティアこそしていないが、障害があるだけで、健常者と何ら変わりないと思っているからだ。
僕の母は平成10年に他界し、もういないが、生前は「パーキンソン病」という難病だった。
最終的には5年ほど寝たきりのままだったのだが、最初は何とか補助器具も使わず歩けた。だが、次第に補助器具を使わないと歩くのが困難となり、それは杖から押し車へと変わっていった。
その頃だった。母が身体障害者になったのは。
今思うと、あの当時は、身体障害者だって健常者とはさほど変わらない、ということは漠然とは感じていたのだが、あまりにも身近すぎて気がつかなかったらしい。それどころか、母が身体障害者である、という認識も薄かった。
ある年、僕は母を連れ、熊本市内のショッピングセンターへ買物に出かけた。そこで僕の価値観を変える決定的な事件が起こった。
その時既に、母は押し車を使わないと歩くのが困難になっていたので、少しでも歩かないでいいように、地下駐車場のエレベーターに近い場所に車を止めた。
車を降り、地上階からのエレベーターを母と2人で待っていた。ほどなくエレベーターは到着し乗り込もうとすると、中には30代後半位の主婦が降りてくるところだった。
そこまでは普通の光景。そして、ごく普通にその主婦の顔を見た。すると、あの時のあの主婦の表情は今でも忘れない。忘れる事が出来ない。僕の母を横目で汚いものでも見るような目で見て、エレベーターを出ていったのだ。
ショックだった。悲しかった。普通だと思っていた僕の母がそんな目で見られたという事が。
その直後、僕の心の中は今まで経験したことのない程の自分を恥じる気持ちと、後悔の念でいっぱいになった。僕もあの主婦のような目で、障害者の事を見ていたんだ。
「自分はなんて恥ずかしい人間なんだ」「五体満足で産まれてきておきながら、何の努力もしていない上に、障害者の事をバカにしていたとは」いろいろな言葉で自分を攻め立て、恥じた。
経験して初めて分かる「心」の痛み。実際に障害者として味わった心の痛みではなかったが、一番身近な存在であった母だけに、まるで自分の痛みのようにも思えた。
本当に経験してみないと分からない事は世の中にたくさんある。いじめにしてもそうだろう、やっぱりいじめられる側を経験してみないと分からない。他人の欠点や、身体的特徴をバカにし笑うことも、それが人の心の痛みであるという事は、実際に自分がそのような事を言われないと分からないであろう。
あれ以来、僕は障害者の事を差別したり、そういう目で見た事はない。
と、偉そうな事を書いてはいるが、いざ、障害者の人が身近な存在になった時、差別したり、距離をおいたりといった事はしないであろうものの、果たして普通の人として接することが出来るか心配なのが、今の僕の正直な気持ちだ。
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